Book&Beer (&me)

ある受講者(菅付雅信の編集スパルタ塾−第三期−)の記録

9.8. 課題⑦「ゲンロン代表 東浩紀氏」

スパルツア塾は、いよいよ後半戦に突入の課題7つ目。

ゲストは、作家にして思想家・批評家で、ゲンロン代表の東浩紀氏。

お題は、「『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』( ゲンロン)を参考にして、ダークツーリズムとは限らなくていいので、○○ツーリズムと課題を設定し、一般のガイドブックかのような外見を取りながら、思想的批評的にアクチュアルな問題意識をウイルスのように購読者に忍び込ませる観光ガイドを作ることを企画せよ」

 

ひええェ、さすが東さん、衒学的な出題してくんなー

でも、今回の課題に取りかかるのは、少し楽しみだった。

継続的な思考と、日常の視点切り替え。

こういうことが要求される課題ってのは、やっぱりおもしろい。

日々の生活の中で、この観点の問題意識をもって生きてみる。

そうやってすこしづつ点検しては、課題のコアに近づいていく。

それを自分に課すこと。

やる気になった奴だけ感じればいい、このプレッシャー。

嫌いじゃねーぜ。

ま、こまごまとした雑事に追われる毎日じゃ、たいがい忘れてんだけど。


仕事をスイスイミーと片付けたこの日、いつもより1時間早く下北に降りついた。

前回、B&Bスタッフの黒川さんに言われたセリフがふと脳裏をよぎる。

「なんか3期の方々、B&Bでビール飲まないですよねー。2期生はけっこう
飲んでくれたんだけどなー」

ほほう、そうかね。

そうなのかね。

 

それならおいら、今日は一杯飲んでから参上しちゃおうかな。

たまには酒でもかっこんでから勢いよく馳せ参じようと、

北口ガードをくぐったすぐ先のダンダカダン酒場に入り、餃子とビールを注文。


発表パワポをさかなに、一杯やるものまたおかし。
ここのギョーザ、メッチャうまかったです。


飲みながら、他の塾生に「いるよー。ぼくはここにいるよー」とアピールメールするも、誰からも反応がないので40分ほどで切り上げてB&Bへ向かう。



この日は、後期から参加する塾生も加わり、2階の本屋は活況を呈していた。

入り口で発表者の書かれた紙をもらうと、一番目に名前が。

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!一番手!

一番手、キツイーーー。

特に、スパルタカスを地でいく東さんみたいな人にとって一番目の発表ってのは

「今夜どんだけサディスティックにかき鳴らそうか」みたいな様子見の時間帯に違いない、いきなり死んだーという被害妄想的な邪推を振り払い、みなの面前に立つ。


 



東さん、曰く「最初は結構いいのかなと思いました。しかし、、、
まずバブル建築というのと建築家の実験的建築というのは分けなければならない。
下手をすると建築家が造ったものは全部ダメで、ゼネコンが周りの人たちに聞いてなんとなく造ったものだけがいいとなりかねない。例えば、歴史的な町並みのなかに異様なデザインの建築があるという事例は世界にも一いっぱいあって、違和感を以て街との関係とを造っているというものもあるわけ。そういう視点がないとゼネコンがマーケティングで作ったデザインビルドな箱ものしか肯定出来なくなるので、そこをどう分けて作っていくかというのが大事なところ。じゃないと、建築家が作った建築は全部嫌いだよ、という大衆に媚びたものになる恐れもある。
 新国立問題だって、ザハの建築だから金がかかったのではなくて、そもそも金のかかる要請をJSCがやっていて、その責任が全部ザハに転嫁されたというのはほとんど明らかになっている。にもかかわらず、個性のある建築=悪だというそういう感情論にそのまま持って行くようなガイドになってしまったとすると、それはまさに俗情と結託しているガイドになってしまうという危険性があるなと思いました」
 
菅付さんからも、「作家主義的な建築というのはあって、いいものと悪いものがある。そこら辺の線引きはした方がいいと思う。例えば、ここは作家主義的だけど建築的に意味があって公共性もあって良し。ここは作家主義の悪しき部分である、みたいなどこかに基準がないと作家主義的なものの全否定になってしまうので、それが入っているか入っていないかで全然違ったものになってくるなと思いました」という講評をもらった。

もうほんとに仰る通りで、ぐうの音も出ませんでした。

まさにお二人にご指摘いただいた部分は僕も懸念として感じ取っていて、当日の発表では「しかしこうした視点が、個性建築狩りになってはいけないので、建築の歴史やトレンドを踏まえる必要はある」とは言い添えたものの、完全に焼け石に水、泣きっ面に蜂、のれんに腕押しのぬかに釘。ちょっとした小細工どころじゃ、どうにも軌道は変えられませんでした。

今回の受賞は、「ダークほどにヘビーではなく控えめな、“アッシュ(=灰)ツーリズム”」を提唱した男性。埼玉の武甲山や青森の猿ヶ森砂丘など、日常の延長線上にある身近な廃(墟)にフィーチャーした企画」
これは巧かった。そこかあ。そんな近く掘ったのかあ。
とまさに「山はそこにありや」。
感服のみぎりでした。
 
今回、東さんの問題意識やコアメッセージはやはり示唆に富んでいた。素晴らしい回だった。やっぱり大切なのは、「ちょっとズラすってこと」なんだ。

 

8.18. 課題⑥「ディスカバー21」

人には愚かでいる権利もある。(J・S・ミル)



さて、課題は6回目。

出版社ディスカバー21の 干場弓子 社長による出題だす。

【課題】
「ディスカヴァーは「21世紀の価値基準を提案する」というミッションのもと、本づくりをしてまいりました。ビジネスや社会、経済はもちろん、女性エッセイや実用書でもその根底にはミッションが流れています。今回はそのミッションに基づいた30歳前後をターゲットにした新シリーズを提案してください。」



ふむ〜。30歳前後向けの新シリーズか・・・

そもそも、この会社のミッションとはいかなるものなのか。
「社長あいさつ」にその答えがあった。

気がついたら、一定の価値基準の中で生きていた。でも、21世紀は違う。21世紀の価値基準は、ひとりひとりが選んでいける。──その選択と創造をお手伝いするのが、Discover21、つまり、21世紀をひらくということです。

新しい価値の創造と提示。

それじゃあ30歳前後とは何者なのか。

とりわけいまの30歳前後とはどういう存在か、どういう時代環境に囲まれて、いかなる問題を抱えているか。


自分がちょうど30でこぼこだから、これは考えやすい。

いまの自分の関心事とその周辺。

露見する、隠せぬおのれの問題意識。

とか思っていたら、まんまとぬかるみにはまってしまった。

ときに、自分が一般と同じだと思ったら大間違いなのだ。
自分が、幸せのために価値観を提示する人たちと問題意識を同じにしていると思ったら大間違いなのだ。チャンネル合わせが必要だったのだ。

以下がその、ぬかるみの全容。

 

 

干場さんからは、一言。

「これは昭和の価値観だ。」
「”30歳からのシリーズ”という問題設定あたりは良かったけど、後半はおっさんの価値観だね。以上。」ということだった。


自分の中では整合性は担保できていたつもりだった。
つまり、封建的な(古き佳き昭和的、硬直的)企業組織でサバイブし、飽き朽ちないための(問題)意識や必要なアビリティ。
 

それじゃあ、昭和的、おっさん的価値に堕した点とは何だったのだろう。

年配殺しの女性画像(木村文乃)?「脱サラ→ラーメン屋」という古典的イデア?恋とセックスあたりが週刊誌趣味過ぎた?

いずれにしろ総体として”おっさん価値”を想起させてしまったのだ。あるいは、どこかで彼女の琴線ならぬ嫌線みたいなものに触れてしまったのか。

これ以上の論評を得られなかった。

久しぶりに女性に嫌われたときのような、やっちまった感を味わう。


菅付さんからも、「ディスカバーらしくない。トンマナじゃない。」との評価。

嗚呼、またしても「トンマナ問題」。

BRUTUS以来の、トンマナ問題に遭遇。


ただ今回少したちが悪いのは、いま振り返ってみても、そこまでトーンは逸脱していないんじゃないかと自分の中では考えられる点。

 いずれにしろ掴めてなかった(会社のコアにタッチできていなかった)点は認めないわけにはいかない。

今後も、アウトプットが出来上がった時点でのトンマナ点検は、大事だよね。ほんと。

 

 

7.21.課題⑤『週刊文春』

試合開始のコール忘れて審判は 風の匂いに目を閉じたまま   穂村 弘



さて、今回のゲストは、文藝春秋 編集局長・週刊文春/月刊 文藝春秋統括 鈴木洋嗣 氏

【課題】は、週刊文春の女性読者を増やすとしたら、どういう連載陣ならびにレギュラー企画が考えらえるか提案せよ」

一見して、すごくやりやすい課題だと思った。

これまでは事業のマネタイズや新規読者層の獲得とか、ある程度現状分析に経営学的視点とかマーケティングとかが必要とされたけれど、今回の提案は連載と企画に限られている。
何十本も連載や企画のパッケージされた媒体である週刊誌への提案に対して、提案の数としては10個は必要だろう。となると、フレームや分析に枚数と時間は割いていられない。どうやって考えたかだけ見えるようにしよう。


主婦や女性の関心事や悩みは、YOMIURI ONLINEのおしゃべりbbs 発言小町からジャンルやカテゴリとして抽出し、片っ端からテーマに沿った企画と人選を考えていく。

逆に言うと、これは使いたい!(一緒に仕事したい!)という人選を先に出して、どのテーマにはめていくか整理するのでもいいと思った。

で、この段階で考えた人選が、穂村弘村上隆紺野美沙子北の富士勝昭、春風亭一之輔らへん。

ざっと、本棚を眺めて出てきた人たちですが。

ということで今回核となる作業としては、テーマを偏りなく(現行のものに被りなく)クルーズしながら、面白い切り口・面白い人を捜して、その企画を練り込む。

www.slideshare.net


結果、週刊文春の出題者賞をいただきました。

鈴木さんの講評では、「タイトルがお上手。なかなか練られてると思います。ちょっとやってみようかなというのも3つくらい見受けられました。毒のある人も旬な人もあるし、そうかと思うと大阿闍梨みたいな「心を込めて生きる」みたいな」オーソドックスな方にも目配せされているのでワンパターンになっていない。その人のいいところを救おうという姿勢がいいんだろうと思う。とくに『トンビが馬鹿を生む』というタイトルが素晴らしい。」というお言葉いただく。

 基本スタンスとして、テレビや新聞を読んでいて、残ったモヤモヤした”疑問”みたいなものをひねってみて、どうしたら読みたくなるかを考えること。当たり前だけど、テーマや最終的にそれが面白いのか、読者に読んでもらえるものかが決定的に重要になる。例えば広告は、どうしてもコンセプトから企画や人選に落としがちだけど(つまりそれは伝えたい雰囲気(笑)とイメージがあって、それを実現させるにはどうするかと考えるため)、まず人がいてその人の魅力を最大限に引き出せる切り口は何かを考えた方が面白いものになりやすい。

菅付さんからは、「同じく、タイトルがいいと思う。「藤田紀子の『絶縁のススメ』」とか『ブラック企業デスマーチ』とか、企画タイトル名を聞くだけで、人に言っただけで伝わりやすいから企画が一人歩きする。それは企画に現実性があるということ。完成度は高い」との感想いただく。


週刊誌の企画・連載タイトルは命だと思ってました。
それは週刊文春の目次、あるいは中刷り広告を見ると明らか。あまりにキャッチーで、どんなに醜悪で巨悪なものであっても「ほんとにしょうがねえな。」と笑ってしまうものが多いから。

もうほんと、ここが争点だと思ってました。

だから、そこで勝負できて、評価いただいたのはほんとうにうれしかった。

鈴木さん、菅付さん。ありがとうございました。

7.7. 課題④『新潮』新潮編集長 矢野優 氏


あなたの才能と世界の需要が交わるところに、あなたの目指すべき目的が存在する。

-Aristoteles



今回の課題
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「『新潮』ならではの新たな読者獲得の方法を提案せよ」

別の角度で言い換えれば、《「文学は好きだけど、文芸誌は縁遠い」という人を読者に取り込む方法を提案して欲しい。特集などの誌面提案のみならず、SNS活用や実地イベントなどを活用した提案を歓迎する》。その提案を通じて、《ネット時代の新しい文芸誌読者》像が見えたら、と思います。
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ぶっちゃけた話、『新潮』自体、読んだことはなかった。
買ったことのあるものでも、文藝、文芸春秋SFマガジン早稲田文学 くらい

じゃあ「それは何故か?」という問いから始めるのは間違ってはいないだろうか。

この問いに答えることで、具体的な解決策の提示に繋がっていくだろうか。

自分にも一般にも共通する問い。それは、「文芸誌ってどういう人が買ってるの?どういう違いがあるの?」というもの。さらに深堀りする。

・文芸各誌の存在理由がよくわかっておらず、各誌の違いや特性をよく知らない
(「文学賞候補(受賞)作品の発表の場」くらいの認識しかなく、小説をハードか文庫かのパッケージとして捉えている人間にとっては存在が認められてない=知らなくて当然)

→各誌の特質(優れている点)とミッション(ポリシー)を掴み、強みを磨いた提案にしよう

いうことで、比較的スムーズに提案レイヤーまで持っていけた。


今回は課題中に「SNS活用や実地イベントなどを活用した提案を歓迎する」とのことなので、SNSを選択。


コアとしては、

「新潮は表現の先端を行く。そのために、異次元ジャンルをつなぎ合わせる」

に設定。


ラインは2つ、

・どうしてSNSが有効か(SNSはこう、新潮はこうだから)
・じゃあどうSNSで展開するか(新潮の強みはこうだから)

で構成した。


 

   

 

結論として、新潮矢野優賞の受賞はならなかった。



新潮矢野さんからは

twitterは自分が始めて、ある時期までは99%が自分でつぶやいていたりしたのですが、これでFacebookとか真剣に始めたらもう編集する時間がなくなるなというのが実感。言い訳ですが。でも、特性の違いを考えたらやっぱりFacebookはじめるべきだなみたいな教えはあった。

「あと、考えてなかったなという片鱗を感じる事が出来たのは”新潮リゾームシー”で、新潮に載ってるものと一見その外にあるものを結びつけることで、確実にプラスのものが生まれる感触っていのか、ヒントをもらえるような気がしました」


菅付さんからは、

「読書会があったが、さらにはスカイプ読書会ってあるのかなと思った。最近インタビューをスカイプでやることが増えてきていて、これはスカイプでいろんなことが出来ちゃうなというのがここ最近の実感なので。あとは、金原ひとみの新作を吉高由里子に読んでもらうってこれはエロくて素晴らしいなあと思いました」

矢野さん「舞城と吉高さんの企画については、結構メジャーなところをぶつけてきている。それがなんかむしろいいっていうか、放っておくと芸術の価値で守られているっていう思いで疲弊してしまいがちなものを、メジャーなものでぶつけながら、だけど単に有名なものを押し付ければいいでしょ?っていうのと違う文化的なバランスや価値があるな、って思った」


反省点、

・提案のコアはシンプルなものの方が伝わる。そしてくどいくらいにコアを中心に。

・「SNSの今」みたいなファクトとかモデルや理論の説明などアウトリーチ的なことに時間を割くのはもったいない。

・発表が5分で収まらなかった。1枚のスライドで1分以上は説明し過ぎ。テンポ重視。

 

今回の受賞は、「徹底的に文字と文章にこだわった」という提案。
新潮発表活字をWEBフォームに投げ込んで栞にしたり、活字を主としたミュージアムや展示展開。

それで若者が新潮を読むようになるのか、一抹の疑問は残ったけれど。

 

6.9. 課題③『朝日新聞社』

違いを生み出すのは大看板や小細工じゃない。
ありきたりの日常への、あくなき探究心から生まれる。(何某)

 

さて、早いもので「菅付雅信の編集スパルタ塾」も講義5回目。
3つ目の課題は、まさかの 朝日新聞社 から。

朝日新聞のリソース(コンテンツ・世界各国日本全国の取材網・宅配システムなど)を利用し、マネタイズできる新しいメディア(もしくはメディアビジネス)を企画せよ」

というもの。

 
なるほど、新聞社の現実は痛いほどよく知っている。

何より、今回の課題がこれまでのものと決定的に違う点。
それは、求められているのが ”マネタイズできるアイデア”であるということ。
ややもすると、経営コンサルとかビジネスコンペで課されるようなお題である。


これはいつもにまして、新聞社の現状と事業特性とをしっかりとらまえる必要がある。それらをしっかり踏まえた上で、斬新かつ建設的な提案が出来るかどうか。

いたずらに夢のある提案などあり得ないだろう。
夢やロマンチズムに拘泥していられるほど、いまの新聞社に余裕はないのだ。


ということで、まず、
朝日新聞(新聞産業)の現状とリソースを洗う
・米メディアの現状とトライ事例
・ケイパビリティの有効的発揮および事業の選択と投資を検討
・なぜそれがなされていないのか。産業的、企業的、組織的側面から検証

以上を整理しながら、段々と意識させされたことがあった。


新聞社のみならず既存のマスメディア全てが、産業構造の転換を迫られている。

従来のビジネスモデルは長くは通用しない(あと10年は続かないだろう)ことがほとんど分かってきたからだ。それなのにチャレンジする風土や文化が育まれていない現状。
人間は50を過ぎると、途端に”変わる”ことに抵抗を感じるようになるという。
組織も同じだ。創業140年の会社が、カチコチじゃないはずがないのだ。


そのオールドメディアで働く若手が抱いている一番の懸念。
それは、

「結局この会社は変われないんじゃないか?」というもの。


激しい嵐に襲われ、荒れて朽ちていく自分たちの”家”を、
ただ見ているだけで何も出来ないのが現状なのだ。
ううぅ、これってトラウマになりそう。
そう、これは労働者のモチベーションに関わる問題なのだ。

以上より、今回の提案は、
トライ&エラーが出来る事業環境とプラットフォームを構築すること。
それこそが一番に念頭に置いたことだった。

 

  


誰も考えたことがないピッカピカの提案にはならなかった。
なりようはずもなかった、というのが正しいか。

提出後は、先行するアメリカの事例も踏まえた、より斬新な提案が出来なかったことを悔やんだりもしましたが、本件で初めて課題出題者による賞をいただきました。

菅付さんからは、「スマホキャリアを配っちゃうというのがこの提案の白眉。そこから得られる個人データやチャネルは建設的提案に繋がり得る」との講評をもらう。

手応えのあるアイデアは、第三者の創造力を刺激し、参加させることが出来る。
どんな提案も、100%詰めきらずに余白を残しておくことが重要であると改めて実感した。



追記として、
・在米メディアの現状とトライ

について、シカゴでメディアとジャーナリズムを学ぶ友人と長いやり取りをした。

5年は先を行っているアメリカのメディアビジネスだが、
「現状は、新しい事業やアプリを試しては止めしている試行錯誤は変わらず。BuzzFeed などバイラルメディアが新興する一方で、NYtimesもHuffingtonなど既存メディアは動画にシフトしつつあり、質の高い”ストーリー”を提供することで付加価値を高める狙い。ビデオプロダクションチームなんかを100人規模で雇い始めている」とのこと。

以上は、海外メディアと国内メディアの経営環境の比較も絡めて、別頁でまとめたい。

5.19. 課題②「tha ltd 中村勇吾氏」

二回目の課題。ゲストは tha ltdの中村勇吾さん。
超売れっ子webクリエイター/デザイナー。

お題は若干変化球なもので、

______________________________
「 あなたは、ある活動を、1日1回、10年間にわたって、毎日やり続けるとします。 
そして10年後の最後の日にそれらを統合し、一つの作品とします。
1日1回、どのような活動を行い、最後にそれらをどう統合しますか? 

この活動全体について構想し、プレゼンしてください。
構想する案については、以下の要件を満たしてください。
・自分自身にとって、それが毎日続けていく価値がある行為であること
・出来上がった作品が、単なる10年間の総和以上の意味をもつものとなること

シンプルな例  https://www.youtube.com/watch?v=eRvk5UQY1Js


She Takes A Photo: 6.5 Years | Beckie0 - YouTube


これは映像ですが、映像に限らず、どのような形態の作品でも構いません。
あと、もう例示してしまったので、これと似たようなものはNGです。」
______________________________



例示の映像を観て、しばらく考える。。。

ポイントは”統合”だろうな。ここをどう掴むか、ここに勝敗を分けるブラキストン線があるような気がする。

そう思っては断続的にアイデアを書き留めて、まとまらないままに時が過ぐること気づけば提出2日前。
出てくるアイデアの全てが、まことに個人的な日々の営為の積み重ねで、十年後の統合作業で何か特別な価値を帯びる可能性など到底考えられそうもなかった。


とはいえ、例示の作品(女性が毎日ヘアと衣装のメイクを施してスナップショットを撮影し最後に全て繋ぎ合わせてコマ送りにしたもの)が、何か社会性とか普遍性を獲得出来ているだろうか考えてみてもそうも思えなかったので、「これは個人的なものでも可なのだ」と決めつけてしまい、まとめにかかった。そこで勝負は決まってしまったようだ。(なんせスライドの中にも”超個人的”とか云っちゃう有様。。)

冒頭で言った菅付さんの台詞に敗因を確信した。
「今回は、人が見て価値を感じるもの、
  最後に個人を超えた何かが出せてるアイデアを選びました。」

 

 

というわけで、発表さえ叶わなかった今回。
仮に発表ができたとしても、随分お粗末なものになっていたと思う。

個人的な関心事でもある「マインドマップリゾーム的思考」の断片的提案ではありながら、底辺から積み上げた結果、台形にしかならなかったような、頂点が作れていないプレゼンの最たるものになってしまった。ポイントでもある”統合”に華も芸もない。
自分本位で、ほとんどオナニーみたいな提案だ。

いい案が出ないがあまりに、つい例示に引っ張られて大事なことを欠いてしまっていた。
Remember, 社会への提案、他者への志向性


この日の中村勇吾賞は、
「両親の食卓を毎晩写真で記録して、十年分を写真集として納める」という提案をした女性。写真アングルと食卓という場の持つ意味が全ての企画だ。
「毎晩決まった時間になると食卓で顔を合わせる」そのことに改めて大きな価値みたいなものを感じる。家族もの、両親もの、でお涙要求のズルいコンテンツだけど、やっぱりいい、との評価。

個人的に面白かったのは、
毎日の新聞記事に自分のことを一言書き付けることで、社会的な出来事(社会の点)と自分ごと(個人の点)とのギャップを並べる、というもの。
これは菅付さんの「日常的な事にほんとの少しズレを生じさせることで”クリエイティブなツイスト”が生まれる」という講評にも通じる、大人な切り口だと思った。

他にも、「感情ごとに色相で花火を作る」とか、「エモーショナルな揺れで即興ラップを作る」とか、個々の大事にしているものや世界観が垣間見える面白い発表が多かった。
 

4.21. 課題①「BRUTUS編集長 西田 善太 氏」

一回目の課題ですた。

ゲストは、ブルータス編集長・西田善太氏。

課題は「今年のBRUTUSの映画特集を考えよ。」

 

とっつきやすい課題だと思った。

まずは過去の特集をチェックし、特徴と傾向を探る。

バックナンバーが置いてあると聞いて三省堂有楽町店まで行ったが、過去1年程度分しか置いていなかったので、amazonで過去の特集を3冊ほど取り寄せた。



・「なにしろ映画好きなもので。」

・映画偏愛話。54人のシネマ放談

・映画監督論

・泣ける映画...etc


で、大切なのは、映画のどの側面を切り取るか。

つまり、面白いとされる映画や人気の作品は探すに困らない時代だ。

映画のどの魅力を、どういった切り口で扱い、それを誰に語ってもらうかだ。


いざ、映画について考えてみたときに、思い出した言葉があった。

それは、村上龍の小説にあった言葉で、
 

「「映画なんてものは誰だって好きさ、というより誰だって好きなものが映画なんだ。だから、『わたしは映画が大好き』なんて言ってるような奴は最低のバカなんだ」みたいな台詞だ。


そうなのだ。映画なんて誰だって好きなはずなのだ。

 ホラー映画が嫌いとか、よく晴れた休日の昼間に暗い映画は観たくないとか、個別で情緒的な意見はあるだろう。しかし、映画総体に関して、それは「物語が好き」とか「人間が好き」ってことと同じくらいに当たり前のことなのだ。

今回はこの台詞を着想の出発点として、企画を考えることにした。つまり、過去の特集は概して、「映画が大好きな偏愛者や映画の製作者である監督、女優、映画について詳しい人たち」が主役だった。

 だけど、映画って誰でも好きでしょ?詳しく語れなくても、好きな映画の一つや二つあるでしょ?それについて語ってもらう機会を設定できれば面白い切り口になるんじゃないだろうか。

こうして出来たのが、「たまには僕らも、映画の話をしよう。〜そこまで詳しかないけれど、たまには語りたい僕らの映画放談〜」だった。



 


結論から言うと、西田さんからの評価は得られなかった。


「まあ、別に俺たちがやらなくてもいいかなあ。べつに、ゴッドファーザーとか小泉首相に語ってもらわなくてもいいもん。」

この一言に敗因が結実していた。

 つまり、”別にBRUTUSでやらなくてもいい”企画だったのだ。 僕はBRUTUSというものがそもそも掴めていなかった。トーン&マナーが分かっていなかったのだ。

 BRUTUS志向性と、西田善太の大事にしていることが理解できないままに、当てずっぽうで提案したことになる。これは、クライアントに対する提案としては完全にアウトだ。

 企画を提案するにあたっては、相手の考えていることや大事にしていること、相手が抱いている課題や熱い思いに、よくよく注意して臨まなくてはならない。

 ましてや今回の場合、課題や問題意識が提示されていないのだから(売上が低迷とか、若者を取り込みたい、とか)、トンマナが重要になる。いまのBRUTUSがどうなのか。新しい画期的なものなど求められていないわけだ。 

 過去の特集を表面的に探るだけではなく、BRUTUSの創刊ステートメントをさらい、さらには西田さんの過去の発言やブログを見てそのマインドセットと興味関心を探る。冷静になって考えてみれば、当たり前のことだ。



 菅付さんからは、
BRUTUSっぽくないけど僕は読んでみたいな。小泉親子がゴッドファーザーについて話してるところを」という講評には勇気づけられた。


この回の西田善太賞は、「映画に傷つけられたい。」という切り口で提案された女性。アイコンや表紙イメージなど、切り口が明確であるがゆえに細かい意匠がほどこされ、何よりBRUTUSのトンマナが踏まえられた提案だった。


 個人的に面白かった企画は、「未来はそんなに明るくない。僕らのディストピア」という設定の提案をした女性。着想とビジュアルが良く、とてつもない世界観を秘めてそうな特集に見えた。人類滅亡年表とか。