Book&Beer (&me)

ある受講者(菅付雅信の編集スパルタ塾−第三期−)の記録

11.24. 課題⑩「風とロック社 クリエイティヴ・ディレクター 箭内 道彦 氏」

課題は10個め。思えば遠くに来たもんだ。

【課題】二つの課題は、二つともやってもらってもいいですしどちらかを選択しても良いとのことです。

①「チャーミングな、異の唱え方を考えよ」
何かに異を唱えてください。チャーミングに。
唱えられた対象も思わず納得してしまうような、外側の人たちも好感を持って巻き込まれてしまうようなそんな方法を考えてください。
異を唱える対象は、あなたが自由に選んでください。何でもいいです。たとえば、総理大臣にでも、友達にでも、2020年の東京にでも、原発にでも、野球にでも。

②「箭内道彦が渋谷に開局させるコミュニティFMの番組企画」
既存のラジオ局が過去にやっておらず、低予算 低ハードル 少労力で人気番組となるものを。優秀作は採用します。

 

個人的には、自分の提案に対して人から「それ見たことある」「過去にやっていた」みたいに言われるのを一番恐れているようなところがある。

とすると、②は出来ないなという選択に至る。

ラジオをほとんど聞かないし、(ラジオの良さとかコアなファンがいるのは何故かということはわかっている気がするけれど)どういう面白いものがあるのか絶対量として知らな過ぎるから。

 

この週は、友人の式に参加するため、木曜午前半休とって成田からホノルルへ。

機内とワイキキのカフェでのアイデア消化のため、提案としては軽く、いささか浮わっついていたかもしれない。

でも、出された問いには忠実に臨んだ。とくにこの部分。

異を唱える対象は、あなたが自由に選んでください。何でもいいです。たとえば、総理大臣にでも、友達にでも、2020年の東京にでも、原発にでも、野球にでも。


つまり、異を唱える対象は、個々で設定出来る。しかもそのレベルは原発から友人まで千差万別だ。社会変革から極めてパーソナルな事柄にまで開けてるはずだ。

 

世界はそう簡単に変わらないが、しかし少しずつでも動かすことは可能だ。(ガンジー曰く「あなたが社会に変えられないために変化を志向し続けるのだ」うんぬんの境地だ)、というのが30過ぎての感覚値なので いたずらな変化の標榜はしたくなかった。パフォーマンスで終わってしまえばただのばか騒ぎか気休めだし、オナニーにしかならない。

 

 

発表後の講評では

箭内さん「読み物として楽しかった。一個とか二個だと提案止まりなんだけど、こういう社会だったらいいなあと思いました」

 菅付さん「ショートコントだよね。方法論じゃなかった、一個一個はクスクス面白いけれど、それを方法論として昇華して欲しかった」

 

 

チャーミングのシーン集。確かにそうだったかもしれない。

しかし、「異をとなえてください」という出題ではなかったか?

その異の唱えかたを方法論として確立したり、大衆にコミットさせるための商品化するまでの必要があったのか?そこに課題意識に対する切実さはあるのか。

 

変化を可能にするのは個人の志向性だし、その萌芽は生活の細部にしかないと思っているので、その辺りをまともに受け止めてもらえなかった気がして残念だった。

 

 

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためでなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。(M.gandhi)」