Book&Beer (&me)

ある受講者(菅付雅信の編集スパルタ塾−第三期−)の記録

10.20. 課題⑧「GINZA編集長 中島敏子氏」

課題8つ目。
ゲストは GINZA編集長の中島敏子さん。

課題は、「『GINZA』の新しい定例ページの企画を考えよ」 です。今の定例をガラリと変えるとしたら、どういう書き手/コントリビューターでどういう企画がふさわしいか提出してもらいます。

 


えーと、あれ?

これ、今回、問題理解してなかったかも。。。

しかも当日までそのことに気づいてなかったかも。

だって提出したのは、書き手もコントリビューターもいない、コンセプトとカットだけの提案。

大胆不敵過ぎる。。

言わんこっちゃない。発表さえ叶わなかった。

とはいえこのままだと少し怖いので(人生の局面の大事な選択をも間違いそうな気がするので)、検証してみよう。

 

一体どぼじでこんな提案になったのか。

(以下すいませんが自分語りです)


1.現状や現実に対して、過度な変革志向がある
 なんか、いろいろ変えたいようです。どこに行っても出しゃばりなくせしてアンチテーゼ担当。アンエスタブリッシュメント。いや、現状維持で良けりゃいいんです。でもたいていそうじゃない。変えたいってみんな思ってる。つうか変えず(変わらず)にただ座すれば死あるのみ。でも人も組織もなかなか変わらない。人は簡単には状況を変えられない。だったらせめて声上げようよ。変えようって旗振ろうよ、って魂のあり方が、しばしば出てきちゃうんです。だから今回ここでも変えたいとか思っちゃった。今回の課題設問の「定例をガラリと変えるとしたら」に反応しちゃう。こっちを中心に考えちゃった。


2.自己模倣から逃れたかった
 とかカッコつけたこと言ってただ飽きただけ。自分のアウトプットまでのフローやプロセスに飽きてきた。だから変えたかった。ずっと髪をロングに伸ばしてきた女の子が、ばっさりショートにしたときみたいなきまぐれな大胆さで。だから今回は3つ目の工程くらいからやった。3つ目とは何か。3つ目とは、自分にとっての日常を「ズラす」こと。


3.誤解はある。だがチェックはない。
 普段から仕事で、「いやマジでブラウザ上で見てないで、プリントアウトして
ちゃんと直ってるかチェックしろよー」とか自分で言ってるくせに、それをやってない
のも自分。クオリティ点検の欠如。これってどういうこと?この提案ってここでどういうこと?っていうのが意識されてない、ほんとに。あと、トンマナチェックにはしばしば悩まされる。しかも前の変革志向が前に出てくると、新しいものの探求という作業の前にトンマナセンサーは沈黙しがちだから。


ほんと雑誌の定例って、
何のことだと思ってたんだろう。


特集でない後ろの方にあるああいうやつ、ってことはしっかり認識してたんだけど、、、
もっと定義して進めるべきだった。

この点について、中島編集長も講義中に端的に表現していた。

 

「定例って、べつにファッション関係なくていいんです。リニューアルする時なんかは定例から考える。定例が雑誌のトンマナを作るから。」

 

そ、 そ、そーだったのかーっつ!!!


にわかに思い出した。作りながらこう考えてたんだ。

とはいえファッション誌の本質みたいなものをコアにして作案しないと課題として意味なくねえか?だって、トンマナ合わせて連載コーナーっぽいもの作るだけじゃあ、それってただのチャンネル合わせじゃん。

くらいのことを。。。(生意気なやつだ。)


問いの本質を見極めるべきだった。

今回の課題は言うならば、月島に行ってもんじゃでなくお好み焼きを食べてきなさい みたいな、そんな設問だったんだ(大丈夫かこの例え)。

 

つまり、

チャンネル合わせろ → トンマナ合わせてうちのコーナー考えろ

か。

 

ううう、不覚。

つうか、もったいない。

 

 

  




今回は菅付さんの講評も、熱かった。

至言や本質的なことが多かったので、2つだけ抜書きしておく。

 

課題が出たら、仮にあなたが読者じゃなくてもイタコになって欲しい。
コンテクストを自分の中にしっかり入れて提案を考えて欲しい。

 

自分の提案のテーマとプランのリンケージが悪い場合、テーマを捨てちゃっても
いい。(大切なのは具体的なプランだから)

 

 

朝夕の風が冷たくなってきた。

今年も残すところ、あとふた月だ。