Book&Beer (&me)

ある受講者(菅付雅信の編集スパルタ塾−第三期−)の記録

4.21. 課題①「BRUTUS編集長 西田 善太 氏」

一回目の課題ですた。

ゲストは、ブルータス編集長・西田善太氏。

課題は「今年のBRUTUSの映画特集を考えよ。」

 

とっつきやすい課題だと思った。

まずは過去の特集をチェックし、特徴と傾向を探る。

バックナンバーが置いてあると聞いて三省堂有楽町店まで行ったが、過去1年程度分しか置いていなかったので、amazonで過去の特集を3冊ほど取り寄せた。



・「なにしろ映画好きなもので。」

・映画偏愛話。54人のシネマ放談

・映画監督論

・泣ける映画...etc


で、大切なのは、映画のどの側面を切り取るか。

つまり、面白いとされる映画や人気の作品は探すに困らない時代だ。

映画のどの魅力を、どういった切り口で扱い、それを誰に語ってもらうかだ。


いざ、映画について考えてみたときに、思い出した言葉があった。

それは、村上龍の小説にあった言葉で、
 

「「映画なんてものは誰だって好きさ、というより誰だって好きなものが映画なんだ。だから、『わたしは映画が大好き』なんて言ってるような奴は最低のバカなんだ」みたいな台詞だ。


そうなのだ。映画なんて誰だって好きなはずなのだ。

 ホラー映画が嫌いとか、よく晴れた休日の昼間に暗い映画は観たくないとか、個別で情緒的な意見はあるだろう。しかし、映画総体に関して、それは「物語が好き」とか「人間が好き」ってことと同じくらいに当たり前のことなのだ。

今回はこの台詞を着想の出発点として、企画を考えることにした。つまり、過去の特集は概して、「映画が大好きな偏愛者や映画の製作者である監督、女優、映画について詳しい人たち」が主役だった。

 だけど、映画って誰でも好きでしょ?詳しく語れなくても、好きな映画の一つや二つあるでしょ?それについて語ってもらう機会を設定できれば面白い切り口になるんじゃないだろうか。

こうして出来たのが、「たまには僕らも、映画の話をしよう。〜そこまで詳しかないけれど、たまには語りたい僕らの映画放談〜」だった。



 


結論から言うと、西田さんからの評価は得られなかった。


「まあ、別に俺たちがやらなくてもいいかなあ。べつに、ゴッドファーザーとか小泉首相に語ってもらわなくてもいいもん。」

この一言に敗因が結実していた。

 つまり、”別にBRUTUSでやらなくてもいい”企画だったのだ。 僕はBRUTUSというものがそもそも掴めていなかった。トーン&マナーが分かっていなかったのだ。

 BRUTUS志向性と、西田善太の大事にしていることが理解できないままに、当てずっぽうで提案したことになる。これは、クライアントに対する提案としては完全にアウトだ。

 企画を提案するにあたっては、相手の考えていることや大事にしていること、相手が抱いている課題や熱い思いに、よくよく注意して臨まなくてはならない。

 ましてや今回の場合、課題や問題意識が提示されていないのだから(売上が低迷とか、若者を取り込みたい、とか)、トンマナが重要になる。いまのBRUTUSがどうなのか。新しい画期的なものなど求められていないわけだ。 

 過去の特集を表面的に探るだけではなく、BRUTUSの創刊ステートメントをさらい、さらには西田さんの過去の発言やブログを見てそのマインドセットと興味関心を探る。冷静になって考えてみれば、当たり前のことだ。



 菅付さんからは、
BRUTUSっぽくないけど僕は読んでみたいな。小泉親子がゴッドファーザーについて話してるところを」という講評には勇気づけられた。


この回の西田善太賞は、「映画に傷つけられたい。」という切り口で提案された女性。アイコンや表紙イメージなど、切り口が明確であるがゆえに細かい意匠がほどこされ、何よりBRUTUSのトンマナが踏まえられた提案だった。


 個人的に面白かった企画は、「未来はそんなに明るくない。僕らのディストピア」という設定の提案をした女性。着想とビジュアルが良く、とてつもない世界観を秘めてそうな特集に見えた。人類滅亡年表とか。